デスノート雑考
仮に「デスノートを復讐のための作品」と考えてみる。
DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)
- 作者: 小畑健,大場つぐみ
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2004/04/02
- メディア: コミック
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前にもちょいと書いたけど↓無様展開は確信犯ではないかという妄想の延長。
http://d.hatena.ne.jp/djrtaro/20060425/1145892332
今週号のジャンプでのデスノートの展開(無様)を見て、ほろ酔いで洗濯物を干しながらそっからさらに妄想。デスノートは作者(たち)から、編集部への復讐のために書かれた作品なのではないかという妄想。
「こんなネーム(台詞)ばっかりで読むわけねぇだろ」とか
「展開、わかりにくくない?これ? うち少年誌なんだからさ」とか
「絵がきれいだからって売れるわけはねぇんだよ(あるいはその逆でもっと酷いことを言われる)」とか
「漫画で重要なのは絵じゃない!!絵じゃないんだ〜!そうですよね!(←これは同業者から)」とか
「もうちょっと本格的な推理って言うかさぁ」とか
「このキャラ、キモいっすよ もっとキャッチーな造詣で…」とか
マイナス(けなし)な前提
そして
「もっとさぁ、過激に行けませんか?」とか
「人型じゃなくて、虫型でいいですよ」とか
「えー、終わらせちゃうんですか? 先生ならまだまだいけますよ!」とか
「やっぱ画集出しましょうよ、先生の絵、きれいだし」とか
「映画化の話、きたんですよーーーー!」とか
プラス(褒め)な前提
で、社会人であれば(社会人でなくても)妄想することがあるであろう
「ココで○○しちゃったら気持ちいいよなぁー」という「実行できないけどしてみたいなぁ」という欲望。
もし「最初からそのつもりでシゴトしてたら!?」
と、今週の無様な展開を見て思いました。
そもそものノートの発想からして「そういうこと」なのであれば、
作品中の「メインアイテム」として、そして同時に
作者たちの「復讐の道具」として、
これほどまでにすばらしい名称はなかろう。
話として素直な受け止め方をすれば「勧善懲悪」で成立。
「勧善懲悪」ならストーリーテラーとして後ろ指を差される理由はありません。
しかし今まで複雑に進めてきた作品の展開としてはあまりに無様。
しかし「松田がんばった!!」的な意外性もあり、毎週読んでいる人間として、その展開悪くはない。
しかし映画化、あるいは普遍化するシナリオとしての「エンディング」ではなく、長く読み続けて松田を知っている読者であるがゆえの「マツダガンバッタ」であり、シナリオとしては十分ではない。
しかし「勧善懲悪」なら一般的には十分。
カイシャに対する儲けとしても現段階の調子ならもう十分。
そして復讐も十分。
いやぁ、本当に「そう」なら気持ちのいいシゴトしてるなぁ。
まぁ、酔っ払いの妄想ってことで。