プラネテス(1〜4)

プラネテス(1) (モーニング KC)

プラネテス(1) (モーニング KC)

プラネテス(4) (モーニング KC)

プラネテス(4) (モーニング KC)

後輩に借りっぱなしで読んでいなかった今作。1巻は以前読んだのですが最終巻を含め全巻読んでみた。


通して読んだため、タメがないせいか「悩み多き主人公だなぁ」と感じ、さらに4巻を読んで、コレで本当に終わり?と思って、Wikipedia*1を見たところ

表題は古代ギリシア語で「惑う人」、転じて「惑星」の意味も持つ(英語で惑星をあらわす"planet"の語源)。

と、あり、そうか「惑う」こともテーマなのだな、とか、「人が広大な宇宙に出る」ということはある意味「惑う」よな、とか、その一言で諸々納得したり感心したりしました。
あの悪役の人(というかPJの責任者?)も、惑ってるんだなぁとか。


個人的には学生時代の「バイクで野宿で日本何周か」してたことがあり、「人間なんてちっぽけじゃん」とか「なんじゃーかんじゃーいうても自然には敵いませんわ」とか思っていたりしていたころを思い出しました。

北海道とかでさぁ、スゲー雨×風×波の日に海岸線(黄金道路だったなぁ…何が黄金か!とか思ったなぁ…って、今調べたら、すげー金かけないと到底作れなかったほど厳しい自然環境に作られたから黄金(を敷き詰められる位金のかけて作られた)道路なのだそうな… そりゃぁ波も被るか…と、15年たって知る真実…それはさておき)とかアホほど荷物積んで走ってると、あ、ここでこけたら死んじゃうなぁ、とか、考えて、同時に「死」に対して考えが行くと、「俺」ってなんだろう、とか考えたりしました。

そういや、北海道は適当に走ってたら林道に出ちゃって、すげーがけが真横の砂利道を走ったときも緊張したな。
あとは、熊野ね。高野山から十津川経由で本宮、新宮行ったときは、十津川に着くまでが本当に道が狭くてくねくねしてて、照明もガードレールもセンターラインもなくて(私が変な道に入っただけかも知らんけど+15年ほど昔の話です)ここで夜になったら絶対事故る!! と思って、でも夕刻にようやく十津川について、温泉入ってすげー安心しましたな…。ちょいと寄り道が過ぎましたな。でもね、そういう「自然と自分、その大きさと小ささを感じたこと」を思い出したのですわ。

とかとか、最近は「別の意味で」極限状態になることがありますがw 

そして自問自答のあたりは宮沢賢治氏の影響があるらしいとwikiにありましたが、私は夢枕獏氏の「

上弦の月を喰べる獅子

上弦の月を喰べる獅子

」も思い出しました。

私の思い出はさておき、そんなある種極限状態にある「人間を描く」いい作品でした。オススメ(今更だと思うけど)。


最近過激だったり斬新だったりするお話ばかり求めておりますが、こーいう哲学的?なもんも読んでも、面白いのかなぁと思いました。

そして、同時に現在のアンテナ(週刊誌ね)だけだと「良作」には会えないのだなぁと思い、またアンテナを高く持とうとも思いました。