つっこみ力

つっこみ力 (ちくま新書 645)

つっこみ力 (ちくま新書 645)

このまえの「物語消費論」「動ポモ」のように「現象を分析する本」ではなく、分析する手前の「データの読み方(メディア・リテラシー)」をネタにした本。面白い。
冒頭の「わかりにくさは罪である」という一言に深く感銘。


なんだか「ココまで言えばわかると思うが」とか「前にも言ったが」といったアプローチをされると「自身の説明のわかりにくさを相手の能力の低さのせいにしようとしている」という邪推までしてしまうのですが(事実私の能力が低いのかもしらんがw)、このパオロ・マッツァリーノ氏は「自身の論説」と同時に「わかりやすさ」も目指しているのでとてもわかりやすいです。

氏は「わかりやすさ」を生み出すために「お笑い」を盛り込んでいます。
ちょっと「お笑い」の要素を入れると「きちんとしたヒトじゃない」なんて思われることが多いと思うのですが、この方の場合はおそらく「理解のためなら笑いも入れるぜ!(でも多分お笑いが圧倒的に好き)」というスタイル。(ケーシー高峰?いやちょっとちがうかw)


大学時代に教授に「論文は中学生でもわかるようにしなけりゃだめだ」といわれたり、若い時代にカイシャで上司に企画書で「背景を把握している上司である自分がわからないのに、背景も何も知らないお客さんがわかるはずがない」とか、「他者に伝える際のわかりやすさ」については個人的に常に気にしてきた部分。わかりやすさ、大事です。

「凡人どもにはわかるまい!」なんて思ったところで「仮に天才的ひらめきだったとしても伝わらなければただのクズネタ」ですからね(今作中でも「伝わってナンボ」と語られています)。少なくともリーマン的庶民の立場であるなら、商業ベースで成功させるには「不特定多数のマス」を巻き込むことは必然ですから、「わかりやすさ」は大事だなぁ。
(あとは、過剰に個別対応パターンを増やすか、やりすぎな広告で目を惹くかw)



で、まぁこの本の前半はそんなわかりやすさとか、お笑いの考え方を盛り込んだ「つっこみ力(メディアリテラシー含む)」のお話。
後半は「データの見方・使い方」みたいな話なのですが、ゲンダイシャカイノムジュンなんかにも言及しており、なかなか硬派。

想定している敵?が学者だったり、変なデータの使い方をしている権威的なポジションの人だったりして、それに対するツッコミがまたおもしろいので、さくっと読み終えました。



で、なんでコレを出してきたかというと
「わからないもの(わかりにくいもの)はわからない(わかりにくい)」と言っていいんだなぁ、という動ポモがよくわららなかった自分のためなんですがw(責任転嫁かw)
(物語の構造とか消費のされ方というのはわかるんだけど、そもそもの動物化とか(「動物化」という言葉自体はシンプルでわかりやすい印象があるけど、言いたいことを伝えるためにはコトバ足らず過ぎて誤解とか生みそうだし)作品論のあたりが目新しいことを言っているように感じられないんだよなぁ。それはそれでいいのかなぁ)

まぁいいや。
動ポモと関係なく、この「つっこみ力」は面白いです。


データの読み方、情報の伝え方、権威への指摘、などなど、さまざま要素がありますが、多分企画で詰まっているヒトとかはデータの読み方とか役に立つし(多分ね)、他人とのコミュニケーションが上手くいかないってヒトは情報の伝え方が役に立つだろうし(ただ、そのほかに「口に出して言う勇気も必要なので、最終的なハードルは高いと思いますがw)、権威への指摘はちょっと胸がすくしw


てなことでオススメ。
(なにやら「反社会学*1」というのもやっているようなので他の本も読んでみよう)