定本 物語消費論

定本 物語消費論 (角川文庫)

定本 物語消費論 (角川文庫)

先日読んだ「ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2*1」がイマイチ消化不良だったのですが、偶然古本屋で今作を発見し「そーいう世の中のことをまとめるオハナシの他の視点?」と思って読んでみた。


私が読みたかったのは、こっちでした。


出てくる素材が時代的に「ちょいと過去=自分のアンテナがサブカル全般をフォローできていた時代*2」ということ、そして捉え方のベースとして「民俗学(大学時代にちょいとかじっていた…柳田國男氏の引用は特に)」ということもあり、「物語の存在意義」みたいなお話が大変わかりやすかったです。


また「力の入り方」も、「動ポモ(←こう略すらしいw GWで時間もあり、ちょっと気になって久々に他の皆様の感想を見てみたら、こう略されていた)」に比べて「やや俯瞰でちょいユル」な感じで押し付けがましくなく、そのあたりもわかりやすい理由かなぁ、と思いました。


でね、コレを読みつつ、「動ポモ2」も思い返しつつ、自分の好きな音楽、時代小説とかお笑いとかに置き換えて考えてみたんだけど、「それ(物語のあり方の形態変化)ってもう昔からあるモン」なのでは?とか思いました。


音楽のカバーとかは「演奏」はしているけど「譜面は同じ」なので*3、ちょっと「メタ」とは違うか、とか時代小説とかもキャラ(設定)萌えだからデーターベース的消費なのでは?*4とか。


で、正直「メタ」というのもかっちりと理解したわけではないのですが、小説(フィクション)の中の小説(フィクション)、とかいうのがソレだとすると、ドリフのコント(コメディアンという職業(=演技者)であるドリフターズの面々が、さらに家族や教師と生徒といったフィクションを演じる)なんかも「メタ」なのでは?とか。
当時見ていた我々(幼稚園生・小学生)だって「あのお母さんは「本当のお母さんじゃなくて「いかりや長介が演じているお母さんの偶像(そういうコトいうかもしれないけど、あんなお母さんは実際にはいない)」だ」というのはわかってるしね。

それにあんなに爆笑してたのに「目の前にあるスイッチ」を切れば、単なるハコに成り下がるテレビの存在、同時に「もうドリフ終わったんだから寝なさい」といわれる「フィクションと現実の落差(正直「後半シュッパーツ!」と正装したいかりや長介に言われたあたりでうすうす「そろそろ終わり」とも感じてるんだけどね)も、構造的に「もうあった」ものであり、媒体が変わっただけのように思うのだけれども…。


だからこそ「フィクション(コント)」の中に「ノンフィクションだけれどもエンタメ性もある(楽屋オチ・タレントのプライベートネタ・シナリオ上の「喜怒哀楽」ではない、暴露や肉体的苦痛によるリアルな「喜怒哀楽」←でも今考えるとソレすらもフィクションであるかもしれないのでメタメタとかいう感じになるのかな?w)」を織り交ぜた「ひょうきん族」が新鮮に見えて鞍替えしていったと思うんだけど。



つーか、舞台って、全部そうじゃん、メタじゃん、っていうのは極端?



なーんだ、やっぱ「ブンガク」を軸にすると「メタだなんだ」と最新の考え方風に講釈たれてるけど、演芸・エンタメではすでにオールドスタイルなんじゃん。たいしたことねえなぁブンガク、とか思うのは不遜かな?(個人的にメディアは問わず、新鮮なシナリオ・ギミックを求める性癖なので「紙がなんだ、舞台や映像がなんだ、という「メディア特性」はあまり気にしないのだよな)




パロティ、2次創作的なことについても、この作中で述べられている「翼」「星矢」は言うまでもなく、古では「本歌取り」も「狂歌」もあるし、この作中で改めて学んだ<歌舞伎>の<世界>という引用にあるとおり、日本が元々持っている「物語の構成の流れ」であり、「動ポモ2」で言っていることは、既にある世界・考え方に「この時代のメディアである新しい友達(ゲーム)もここまで来た!」ってだけなのかなぁ、と。

だから、「動ポモ2」の帯にある「物語の行方がここにある!!」ってのはちょっといいすぎかなぁと思いました。
なので「行方がここにある!」じゃなくて「可能性が広がった!」くらいかなぁ。サンプル数も少ないし。
つーか、「動ポモ」の作者さんも同じ世代だし、上記のような「演芸はすでに30年前にメタを消費しつくした」ことを「同世代」として把握・体験しているはずなのに、ソコには考えが行かないのかな? わざわざ美少女ゲームに行かなくてもwとも思うのだけど。
つーか、アンテナ低いオッチャン(同業者の権威者)に、おれはアンテナ高いぜ(美少女ゲームに詳しいぜ、ラノベに詳しいぜ!)って言いたいだけなのかな。オッチャン(権威)は未知(学習不足対象)には甘そうだしなぁ(ココ最近の権威的「なんちゃら賞」の受賞者を見よ)。
あるいは、単なるビジネス(メシ食うために文章を書いてみた)かw



ここまで好き勝手言ってから、単に私の「メタ」の解釈が間違ってるのかな?とか思うけど、どうなんだろ(ラノベ美少女ゲームなるものに精通していないので弱気w)



ああ、なんだか「言葉遊び」な感じになってきたし、相変わらずまとまらないのでw「消費し続けて、だらだら語る立場でいいじゃん」と思った私としては適当にお開きにしたいので、この辺で。


そんでもって、同じく古本屋で「清涼院流水」も見つけたので(コズミックじゃなかったですが)、この感想なんかもあげてみます。

*1:http://d.hatena.ne.jp/djrtaro/20070430/1177885830

*2:元のリリースは1989年

*3:でも、Smells Like Teen Spirit/B-DASHのような「別解釈(演奏)・・・盛り上がり部分をちょいとずらしてカバー演奏、と私は感じている」も発生し得るのであながち「譜面の再現」ともいえない部分もあり

*4:時代劇ドラマ見ててそう思わない?