わにとかげぎす@ヤンマガ最終回

日常に潜む狂気と我々との距離は、そう遠くはない

てめえの文章で恐縮ですが、コレ、古谷実氏の前作、シガテラの最終回の感想。

このときは「日常に潜む狂気」という言い回しをしましたが、イメージしているのは、イジメだったり、ヤクザな世界だったりムカシの言葉で言うところの「電波系」だったりしたのです(そういや隣のサイコさんとかいう本もあったな)。


が、コトバに置き換えると「似たような感想」ではあるのですが、その内容はさらに進行して「同僚」とか「彼女のモト彼」とか「そのへんの若いコ」とか「偶然知り合ったおっちゃん」とか、本当に目と鼻の先。

自分だって、飲み屋で偶然会ったオッチャンを殺しに来た殺し屋が「●●万あれば見逃す」とか言ったら払いそうだもん。後味悪いってだけの理由で。
同様に「怖そうな若者が親しげにしつつもシゴトのジャマをした」としても、強くは言えなさそう。

こりゃ怖いよ。

だから、「シガテラ」が「誰か運の悪い人が引く貧乏くじ(イジメ的遭遇率…おぎぼうは、その<被害者>」だったとすると、「わにとかげぎす」は「可能性としてはソレよりも高い確率」というか、そういうシャカイの<参加者>達が「強者弱者問わず」出会ってしまう物語のような気がしたのです。

現代社会?


これはマイナスな意味だけでなく、高名なブンガクの賞を受賞する彼女も、コロシの指令から見過ごされる富岡氏も「参加者=被害者になるにも、勝者?になるにも、参加者である以上、ラッキーもアンラッキーも単なる結果でしかなく、特別なことではない」であるが故のラッキーでもある気がします。
(私も適当にシャカイ人させてもらってるけど、結果論だし。これだって大学に受かったとか、就職できたとか、ある意味偶然←必然といえるほどベンキョウしてなかったし)


禍福の幅が広がっていくっつーかね。


そういう意味では「シガテラ」よりもさらに振れ幅が大きくなった作品、とも言えるのかな。
(そういう意味ではヒミズシガテラよりエンタメ化したってことか?w あ、でも同時に日常化もしてるんだよな…)



奇しくも昨日ジョジョ4部を読みましたが、キラ(吉良吉影だよ*1)がうようよ、みたいな、そんなシャカイなのかなぁとかも思いました。これはフィクションだけどフィクションだとばかりも言えない気がする今日この頃です(夜遊びで都会に行くと特にそう思う。怖そうなオニイチャン多いもんな)。


決着の付け方がこれでいいかどうかは置いといてw
これもまた面白い作品であったと思いました。


でも、この次はどんなになるのかな?
児童虐待とか「選択できない」「克服できない」不幸とか?


ああ、悪い方に悪い方に考える癖がついてしまう(苦笑)



ちなみに、シガテラ最終回時のコメントはこちら
http://d.hatena.ne.jp/djrtaro/20050609/1118327645

*1:そういや4部を読んだあと「デッドマンズQ」も読んでしまったw コレ

死刑執行中 脱獄進行中 (愛蔵版コミックス)

死刑執行中 脱獄進行中 (愛蔵版コミックス)

に収録