最近の最終回 ヤンマガ編 ヒメアノ〜ル
本当は先週完結したクロスゲームとかねこわっぱあたりから書くつもりだったんだけど、ヒメノア〜ルがちょっと衝撃だったのでこちらから
え、コレで?と思いつつも、安堵したのも事実。
過去、最近の古谷氏は、一般人の視点で、恐怖とか脅威か、そういうありえないことも無い人為的な怖いこと、を描いていたと思ってます。
壊れていく自分(ヒミズ)、巻き込まれる自分(シガテラ)、狙われる自分(わにとかげぎす)とか。
そんで、今回の来たところ、再び「狙われる」、だけどターゲットは「彼女」という風に考えておりましたが、実際は「壊れちゃってた/狙う自分(犯人サイドの視点)」、だったのか、と。
日常サイドには、「壊れようとしたけど壊れきれない先輩・安藤さん」「壊れてるが気にしないあのヒト(安藤さんのライバルw名前失念)」。が配置されつつ、サスペンスサイドには「殺人鬼・森田」。
で、作品全体を通して、岡田くんは単なるとっかかりで、実はサスペンスサイドの「殺人鬼・森田」が主人公だったのかと。
執拗に「ユカを狙う」森田。気持ち的には当然「岡田・日常サイド」に共感するんだけど、今こうして考えると「殺人鬼・森田」の必死さも、凄惨ではあるけど、ある意味「一つのゴールを目指すモノガタリ」ともいえる。ただ、無計画だし破綻しているんで「主人公」っぽく見えないけど。
でも、「数多の苦難を乗り越えて目的を達成しようとしている」という意味では、彼は確かに潜り抜けているのだよな。行為そのものは認められたモンじゃないけど。
とはいえ「ああいう終わり方だった」から、そう思っただけで、実はもっと個々の登場人物に対してバランスよく「その後」を描く終わり方もあったんじゃないかとは思うけど、確かに「対の主人公風の描かれ方」してたけど、終盤は森田が主人公みたいな感じだったしな。
アレはアレでああいう風にしたくてしたのだとすると、そういうコトなのかな?と感じた次第。
ともあれ、もう彼女(ユカ)が狙われることはないし、森田が人を殺すことが無いのだと思うと、安堵しました。
お疲れ様でした。
そして、ココロの中の感想は、相変わらず「自分の身に、ああいうことが起こりませんように」だ。