鋼の錬金術師(14)

謎がそれとなく解けているようで、事態はまったく好転していない。「生き続ける」ということは単純なようで、相当ヘビーなわけで。


ニュースとかで「凶悪事件」が起きて、いろんな人がとやかく、やんや言うわけですが、それってば「言ってるその人」にしてみれば「一過性」なわけで、評した後は「気にはするけど」次のネタが来るまで待ってるって感じじゃない?
要は「ソレ」は「他人の問題」だからまぁ、そんな感じなんだろう。

でも、当人にしてみたら、被害者はやっぱ犯人に尋常じゃない感情を持ったり、犯人はすっげー反省してたりしてなかったり、とかいろいろだと思います。

「当事者である」ということはかなりヘビーなことだし、「<ソレを抱えて>生き続ける」ってことは、さらにヘビーなわけだと思うのです。


なんだかいつもとトーンが違いますがw まぁ要は「犯人はお前だ!」とか「あいつに勝った!」とか、「悲しい〜」とか「悔しい〜」とか、そんなシンプルじゃない話が、この作品では展開されていて、すげーなー、と思った、ということです。(奇しくも先日から読み返しているところで、もろもろしっかり情報として確認できた直後だったので余計にそう思ったのです。)


本来であれば「あの父親似って何!?」とか「リン(糸目)が〜」とか、そういう「娯楽作品としての展開の妙」について触れるべきだと思うのですが、エルリック兄弟とか、マスタングとか、スカーとかの「登場人物の決意」や「作者の人物の描き方」に感心したしだい。「<ソレを抱えて>生き続ける」ってやっぱ大変だよな。あんたら偉いわ。

まぁ、人間誰しもそういうもんを大なり小なり持ってると思うけどね。時間軸で若いころから順に言うと、友情とか恋愛もそうだろうし、仕事するってのもそういうことだと思うし、結婚とか、親になるってのもそういうことだと思うし。(あー、いや、現状に不満があるとかって話じゃないよw 生きるのって大変、って話)


ふと、こないだ読んだ「クライマーズ・ハイ横山秀夫氏」の主人公*1を思い出したり。

まぁ、でも「ツクリバナシ(マンガ)でしょ」って言っちゃえばソレまでなんだけど、「エンタメと人生論をキッチリ両立させているすごい高レベルなフィクション」ってのもあるのも事実なんだし、この作品はそういう作品のひとつ(少なくとも私にとっては)なんだと、改めて思います。
今からでも読むべきオススメ作品です。

*1:花形シゴトにつきつつも、社内の謀略にはまったり、そのせいで部下の決死の努力を無駄にしちゃったり、部下から突き上げ食らったり、仲良かった先輩と激しい喧嘩したり、自分(+部下達)の決意を「決して仲が良いとはいえない家族(保身)」のために翻しちゃったり。左遷はされるけど、結局そのカイシャも辞めず、い続け、当然家族とも別れず…ああ、ホント大変