生きている兵隊

生きている兵隊 (中公文庫)

生きている兵隊 (中公文庫)

ミニブームの「軍記モノ」です。これ、最初ドキュメントかと思ってたら、途中で「取材をした後の小説」的なものだったということを知る。確かに最初から「深く描いているなぁ」と思ったのです。(冒頭に「創作がある」とあったのは「一兵士の想像」だと解釈しておりました)。で、結論は当然「戦争イクナイ」です。


小説とはいえ、取材に基づいたものであるので、基本「史実に近い」とも思われますが、「伝える」ことではなく「描く」ことを目的としているため、かなり「心理描写」が多く、どこまで本当かなぁ、と思わないでもないですが、概ね「戦争はむごい」という部分では変わりはないので+ソレについて考えると夜も眠れそうにないので、「そういうこと」と考えることにします。

で、その中身ですが、個々の兵隊さんの心情を描いたり、その中で「国家」「戦争」「個人」とか、マクロとミクロの観点が混在する戦争の状態を描いているわけですが、過去に読んだ「太平洋戦争モノ」ではなく、「日支事変(作中の言を用いています)」であるため、実際に兵隊さんたちが戦場で相手の兵隊を殺したり、相手の兵隊に殺されたり、占領地で市民に殺されたり殺したり、と「対面で殺す」ということが多く見られます。
事象を肯定するわけではないですが、数日、数ヶ月同じ釜の飯を食った僚友が、敵の手にかかって死ぬ場面に遭遇すると、当然「敵憎し」という感情も生まれるでしょうし、「憎たらしいので殲滅したい」という気持ちには共感する部分があるのは否めません(現代における傷害致死や、その他の事件において「被告を死刑にしてほしい」というの被害者側の感情に近いものがあるかもしれません。私自身その立場になったことがなく、メディアでの情報のみを判断の元にしていますが多分自分が似たようなことをされたら、そう感じるに違いないです)。
そして当然戦略された側の国でもその感情はあるから、「占領されたけど、身内を殺した敵軍人殺してやる!」というのが生まれるでしょうし、アクションを起こし、そしてさらに敵(日本軍ですな)は「もう敵国の一般市民も我々を殺そうとする敵だから怪しい奴は全部・・・」的な流れになるのかなぁと(ベトナム戦争とかもそういう面があったはず…)。

「殺人は罪」であることは事実ですが、「殺された側の憎しみの連鎖」というのも確実に存在しますよね。
イシュヴァール人@鋼の錬金術師もそれで悩んでますな。スカー(イシュヴァール人)はウィンリィ(スカーが従軍医師であったウィンリィの両親を、スカーの治療をしたにも関わらず「敵」ということで殺害)に「お前は俺を殺す権利がある(意訳)」的なことを言いましたが、アレは「実際にめぐり合った」からそういっているだけで、戦争なんかで、万単位の見知らぬ人間同士がいっせいに殺しあって・・・という状況下では、実際に親の敵に出会える人なんていないのではないかと思うと、やっぱ「その憎しみは根深くずーっと保存され続ける」のではないかと。そんでもって「個人」であれば、そいつを殺せば多少スッキリしたりするんだろうけど、そしたら向こうの子がまた…みたいな感じになるだろうし、個人の顔が見えなければ「人種」や「国」になるんだろうし・・・「憎しみを是とする」なら、どっちも正しくなっちゃったりするのがややこしい。

で、ふと、わが国日本では「太平洋戦争終了後」なぜそのようなことが多くは起きなかった(私が知らないだけかもしれないので、多くは、としました)かというのを実体験を伴わない浅はかな知恵で考えると、目の前で「人間」に直接的に殺されたり、というのが少なかったからなのかなぁ、とか思います。天皇玉音放送とかも関係しているのかもしれないけど(ボスが終わりっておっしゃってるので、ボスに従おう、みたいな)。あとは侵略後のアメリカ軍があまりめだった略奪とかしなかったとか?あるいは、噂で聞いてるほど酷くはなかったため?(その辺は詳しくないので推測。でもロシアは略奪したから、未だに北方領土は問題になってるよな)
あとは、飛行機でブワーンと来て、焼夷弾*1を落としていくので「アメリカ」ではあるけど、「誰?」というのがわからないからかなぁと(焼夷弾自体はすさまじく酷い兵器です)。あとは、生理的嫌悪感が起きるであろう「生と死の間の一番生に近い<死の直後・・・腐敗>の状態が焼夷弾で灰になってしまったから?
うーん、今更ながらなんかアメリカに腹が立ってきた。原爆落とした飛行機飾ってんじゃねーよ!!! そして、相変わらずあの国は「市民殺し」を続けて正義面してますな…。

それは、さておき、島国かつ、安全である日本では基本的に性善説で考えることが多いと思うのですが無意識に「個人と国家」を分けて考えて、アメリカはムカつくけど、あのアメリカ兵さんは優しくしてくれた、とか。あるいはあまりに疲弊していて、とにかく現状を変えたかったとか…。
多分、農作物みたいに「私が作りました(落としました)」とか書いたプラカードをぶら下げて歩いていたら、速攻で殺しに(少なくとも怒りに)いくと思うんだけど(あ、これでまた連鎖が・・・)。

そう考えると「靖国」も微妙に「プラカード」になっちゃってるんだろうなぁ・・・。靖国はそもそもどういう場所で、とかじゃなくて「戦争は悪」、「殺人は罪」という一番のモラルっぽいところで突っ込まれてるというか…。国家間の戦争という「マクロ」のハナシと「殺人は罪」という生き物としてのハナシと、「日本の癖に生意気だぞ」という偏見とか、いろいろ混ざっているような気がします。

すっかりハナシがずれましたが、またいつものごとくまとまりません。
この作品のまとめとしては、小説という形ではありますが、「戦場へ行くと人は変になっちゃう」という感じか(普通なまとめではありますが、事実であり普遍であり、悲しい事実だと思います)。