照柿

照柿(上) (講談社文庫)

照柿(上) (講談社文庫)

照柿(下) (講談社文庫)

照柿(下) (講談社文庫)

作者の高村薫氏が「日本のドストエフスキー」とか、これは現代の「罪と罰」だ、とか言ってますが、ドストエフスキーとかよく知らないんだけど… 椎名林檎ハイロウズのならわかるけどw


大量に平積みされているあたりから、気にはなっていたのですが、遅ればせながら、DQMをどうするか、とか悩み始めたあたりから読み始めて、結構時間がかかりましたが読了。


今回感じたことは4点。


①日常を軸にした作品は作品にのめり込むまで時間がかかるが、のめりこむと早い。

読み始め冒頭は、日常が軸であるがゆえに「だから何?」みたいな部分があるのは事実。
しかし、基本情報がある程度インストールされてからは親近感つーか「ああ、私がたまにチラリと感じる<アレ>はそう言う(表現する)のね」とか、日常が軸であるがゆえに共感のようなもののシンクロ率も「いったんはまる」と上がります。

私小説」と呼ばれるものを最初に書いたのは漱石だとか鴎外だとか、そうじゃないとか多分高校で習ったけど(←身についてない)、これは確かに発明だなぁ、とかぼんやり通勤途中で思ったり。


やはり人間は「アコガレ」よりも「共感」の方に惹かれるのかな、とか。
映画でもマンガでも「涙する≒感情の触れ幅が大きい」ってのは「アコガレ」よりも「共感」だと思うし。

いや、人間というよりも「齢を重ねて振り返りが多い人間」という方が正しいのかな。


日ごろから「ギミック、あるいは安定したレベル重視」でマンガや小説を読んでいる人間としては、たまにしかこういうの読まないけど、やっぱ、たまにでも読むべきだ、と思いました。
上巻の半分くらいから、結構読む速度が上がりました。ハンデを前提にしたアキハバラ@DEEP並に「シゴトへの滅私奉公的描写とか、ソシキで云々とか、そういうのをネタに仕込んだ」のは、ずるいと思いつつ、止まりませんでした。(まぁDQMをやめたってのもあるけどw)



②人間の営みは国や時代を超えてもそう変わらんのかな?

解説やらで「高村氏は日本のドストエフスキー」みたいなことを言われて、彼の作品のシーンと今作が比較されているんだけど、でも「ソレ=ドストエフスキー」をよく知らないおっちゃんからしてみたら、「ドストエフスキー出さんでも理解(あるいは共感)できるやんか」とか思うわけで。


そう考えると「古典名作」として学校のキョウカショでも習っちゃう作品であっても、この照柿であっても、私の周囲であっても「人間の営みは国や時代を超えてもそう変わらんのかな?」と思うわけです。


まぁ、解説を書かれている方も「僕の周囲でもこんな知人が、葬式が…」っていうより「ドストエフスキーが」って言うほうが、カッコがつくし、原稿料ももらいやすいわなw



マークスの山読まなきゃ…

ココの主人公の一人である合田刑事は「マークスの山」の人なのですな。高村氏の作品はさほど読んでいないので、その「マークス…」も読んでいないのですが、ちょいと興味が出たので(というか、この作品の合田氏がよそで(同じ作者ですが)どう描かれているのか、とかその辺の「合田氏の遍歴」が気になった)読んでみようと思います。



④主人公達、俺と同世代か年下だよ…

まぁ、様々な作品に出会うたびに思うことですが… そうか、そんな年齢か。
うれしそうにポケモンの次のサブタイトルを予想している場合じゃないな…
(ちなみに、私の読みは「対になっている(地下)資源」という仮説&縛りに対して、もうダイヤが出たなら、それより貴重なものとして「バーニング★オイル(赤)」と「エクスプロージョン★ガス(青)」だろうと予想しています)
オタ仲間からは「チップ」と「ディール」ぐらいありえない、といわれましたが。



まぁ、やいやい言いましたがどっぷりはまりました。
若い子はどうか知らんけど、OVER30にはオススメかな。